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絶望の瞬間にも、プリンは美味しい

プリンと豆乳と、持って生まれた長所の話です。

10年前からときどき出します。

 

「明日からあの人には会えないと思っても、食べるプリンは相変わらず美味しい」

 

 

と、我らが昭和女のバイブルで言っていました。

 

 

 

 

もしかしたら、フルーツ牛乳だったかもしれません。ごめんなさい。

私ごとですが、豆乳が大好きです。
当然豆乳プリンとかも食べたいわけです。

でも、困ったことに大概の豆乳シリーズは

「おれ、実は豆乳なんだせ?全然豆乳っぽくなくない?」

というものが多くて、そのアピールにはがっかりしてしまいます。

ときどき「豆乳っぽさが一切ありません」とかみたいなコピーもあって、

それじゃあ豆乳とか嫌いなんだったら、無理して食べなくたっていいのにと毒づきたくなります。

しかし、この間たべた豆乳プリンは

「どうだ!俺様の豆乳感!」と言わんばかりに豆乳の味がしました。

好きよ!その豆乳としての自信!!待ってたわ!!

持って生まれた長所を、
どうして隠そうとするのかね?

 

豆乳なら豆乳で、その感じでとてもいいと思うのに。
無理やりピンクにされたり、甘くされたり、なんか拷問じゃない?

「飲みやすい豆乳」

とか、

豆乳側としても「そこまでされないと私、求められないの?」って落ち込んでしまわないのでしょうか。
もしかしたら超絶ポジティブな変身願望の強い豆乳がいるのかもしれない!そうだったらいいけど。。

私たちも、
持って生まれた長所をコンプレックスだと感じて隠してしまったりしていないだろうか???

「あー、なんて短い足だろう」

「あー、このウエストがあと10センチ細かったらねー」

とか思っても、どんなときにも、プリンって美味しいということなのです。
どこかで、論点がずれましたか・・・・?

豆乳は、豆乳のままでいいのです。

私たちが持って生まれたものは、それでいいのです。
プロに頼って、もっともっと好きにさせてもらえばいいのです。

だからプリンも、もっと固まってから、ぷりんぷりんにしてから商品として世に送り出してくれたら嬉しいな。

とろけるようなプリンというのは、それはだらだらとしていて、「固まっていないだけ」ではないのかい?と感じています。

 

どんなときでも

「自分でよかった」

と思えることは、最大の親孝行の、先祖孝行だとおもいます。

 

誰かと出会うたび、「自分の人生でよかった、こんなに素敵な人たちに巡り会えた!」と思っています。

 

なのにときどき、柔らかいプリンに出会ってしまうと、

「プリンならなんでも好きっていう自分だったらよかったのに」

とか、とても簡単に思ってしまっています。

 

瞬時のマインドセットは私自身好みません。

それはとても鮮やかで魅力的なテクニックだけど、

リバウンドも激しいと思います。

 

好きな食べ物の推移や変化が良い例だと思います。

催眠術にでもかからない限り、嫌いな食べ物は食べられない。

 

嫌いな食べ物が着飾って、姿形と個性をなくしてしまえば食べられる。でもそんなの、克服したっていえるのかしら。

 

 

おバカが炸裂、夏のお約束話でした!おつきあいいただき、ありがとうございました。

 

以上、豆乳だったのかプリンだったのか最後よくわかんなくなっちゃったプリンと豆乳と長所の話でした。

 

夏のメニュー、ピーマンが敵だな